狂人日記

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055 6/18 【Wating for "Wating for Godot"】

有言実行の男なので怒涛の2日連続更新。

サドの『美徳の不幸』読み進めてます。今半分くらいかな。最初の方はケラケラ笑いながら読んでたけど連続摂取していると少し心にくるものがある。物語の流れからして「不幸」が終わることがないということが明らかで、カタルシスが得られないのがどうしようもなく息苦しい。閉塞空間から脱せない。

閉塞空間といえば最近やった長文問題で「ゴドーを待ちながら(サミュエル・ベケット)」に関する評論があった。喜志哲雄先生『喜劇の手法 笑いの仕組みを探る』。曰く、閉塞空間という環境が織りなす受動的・絶対的なエネルギーを展開の基盤に組み込むことで、2幕に渡る演出を可能とし、そしてその2幕を大胆に使った展開をみせることで現実感覚の崩壊を描く。だとか。分かりづらいと思うのでも少し詳しく書く。

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あらすじ。

①ゴドーという男を二人の男が待つが、紆余曲折あって結局会えない

②その翌日かのような雰囲気で二幕目が始まり、またゴドーを二人が待っている。

③ただし明らかに①の翌日だとは思えない。翌日だと断定するには、ところどころで小さくはない変化が目につく(たとえば舞台の草木がいきなり生い茂ったり、たとえば①ででてきたキャラが突然盲目になってたり)。

④結局翌日なのかどうかはわからないまま①の焼き直しが続く。そして二人はまたゴドーに会えず終わる。

といった感じ。主題は先に述べたように「現実認識のもろさ」。胡蝶の夢マトリックスを想像してもらえれば良い。「え、これさっきの幕の翌日…じゃ、ない、よね?」「てことはこの二人無限にゴドー待ち続けてるってこと?」「でもこの二人には昨日の記憶があって、あの少年には昨日の記憶はない…どころかもう一人の男の子はいきなり口が聞けなくなってる…」「これはいつの話?というかこいつらは誰?アレアレアレ?」「????????」、こんな感じ。世界5秒前仮説じゃないけど、自分の視点の主観性、即ち脆弱さを浮き彫りにしてくれる。そして聴衆は現実の不幸を「現実という空間」に置き去りにし、解放・自由を手に入れる。らしい。先生に怒られてる時宇宙に想いを馳せて現実逃避みたいな感じ?かな?僕の解釈が正しければそういうこと。

大切なのが、これもまた先に述べたように、レトリックやキャラクターの掛け合いだけでは観客の集中を多幕劇に耐えさせらないということ。もしできたとしてもそれはsuperficialなものに過ぎない。絶対的な環境を設定することで観客の興味をより強く煽り、その中で本来ならし難い「2幕の差異を見せる」という大胆な演出。ゆゆ式はキャラの掛け合いに依存してるから飽きやすいけど、エンドレスエイトはもっと高次元なところに閉塞状況の原因があるので見るに耐える、という理論(この例えだとエンドレスエイトのほうがゆゆ式より見やすい、ということになってしまい逆説的だが…)。

久しぶりに読み応えのある長文で、かなり印象に残っている。現代文は楽しい。他にもいくつか「ゴドーを待ちながら」を思い出すきっかけが連続してあったので、内容は知ってるが思い切って原作を購入。英書買うの初。楽しみ。届くまでにサド読み終わらせたい。「ゴドーを待ちながら」を待ちながら、閉塞空間に身を投じる。とかいって、宅浪自体閉塞空間なんすけどね。

 

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ちなみにこの作品をモチーフにした「後藤を待ちながら」というきらら漫画案があります。作風はいたって単純。二人の美少女が「後藤さん」を待つ。紆余曲折ある。会えない。これを繰り替えしていく。ただし、これも原作通り、徐々にキャラクターが変化していく。最初は身長が少し縮むとか髪型が変わるとかその程度だけど、7〜8話あたりから急にキモオタクになったり触手になったりオードリーになったりする。あとは「紆余曲折」に面白いギャグを挿入できればOK、というめちゃめちゃ便利テンプレートです。何よりきらら(の異質枠)にあってると思う。五分アニメすら狙えそうでしょ?僕は絵が描けないのでこれを描くということはありえませんが、誰かにこのネタやられた時にこのログを残すことで先に考えたのは僕ですよとしたり顔したい、ただそれだけのメモです。