061 6/27【以下の問いに答えよ。3】
*訂正:6/27 「プロテスタントのドイツ騎士団に対抗して」を全面的に削除しました。嘘です。すみません…(プロイセン=ルター派に引っ張られて書いてました)。
*7/3「十字架の丘」について追記。
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第三(二)弾。世界史論述です。例によって不満や訂正などがあればコメント欄で受け付けています。そもそも僕の勉強のための記事でもあるので、忌憚なく。さあ問題いきましょう。
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Q.10世紀から18世紀のポーランドの興亡を500字以内で記述せよ。ただし以下の5つの指定語句を最低一度は用いること。
【バトゥ】【コペルニクス】【スウェーデン】【啓蒙専制君主】【カトリック】
(配点:40点 解答時間:40分)
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どうですか?解けましたか?まあブログ記事の問題をノート広げて解く人はいないでしょうが、それでも構想とキーワードくらいは思いついたでしょうか。それでは、解説。この記事を一読すれば中近世のポーランド史が綺麗におさらいできるように書いたので、特にわからなかった人は読んでみることをオススメします。
まず、指定語句を無視して一番大きなポーランド史の骨格をメモしておきます。ここにある単語は絶対に必要です。
【解答の背骨】
①10世紀にポーランド王国
②14世紀にカジミェシュ3世のもとで最盛期
④ヤゲウォ朝断絶後選挙王制
⑤18世紀末ポーランド分割
☆「①普通、②③強い、④で下降して⑤以降他国の支配下」というイメージがあると良い
中近世ポーランド史の「興亡」。ということで、まずポイントとして政治史を書く必要があります。まあポーランドの文化史なんて、ぱっと思いつくとこだとコペルニクスとショパンくらいしかないでしょうし、経済・社会も教科書に特に記述がない。だから知ってる知識=政治史を書いていくほかないんですが、ここを意識しないと指定語句【コペルニクス】が捌けません。
というのも、今回の出題に際して僕が意識したことは二つあります。一つ目に中近世のポーランド史をおさらいできる問題にすること。解答例を見てもらえればわかりますが、多分に(東大受験生ならここまでいらないでしょう)単語を詰め込んでます。故に500字どころか300字くらいしか書けない人ばかりなのでは。僕もこの記事を書くにあたって色々調べたので、その前なら全然書けなかっただろうと思います。そして二つ目に、指定語句を東大チックにすること。流れ記述を書かせる問題だと京都や筑波に近くなります。あるいは昔の東大。それだとつまらないので、ほんの気持ち程度、指定語句を一捻りしました。東大第一問でも、お邪魔虫的ないらない指定語句がしばしば出てきます。その典型的な処理の仕方は[修飾]。それでは話を【コペルニクス】の処理方法に戻します。
中央集権化により充実した(ポーランド王国の)国力は、コペルニクスを輩出したクラクフ大学に象徴的である。
解答例です。コペルニクスがクラクフ大学出身なのは完全に知識(やや細かい)ので、知らなかった人はこの機に覚えておくと良いでしょう。クラクフは天文学で有名です。ついでにコペルニクスの三要素もメモ。
①地動説
→教会と衝突
③ポーランド出身
→クラクフ大学
思考プロセスとしては、
⑴コペルニクス?政治史だからお邪魔虫語句か?
⑵コペルニクスはポーランド出身で、クラクフ大学卒業してたはず…
⑶クラクフ大学はカジミェシュ3世が建てた…
⑷そうか!カジミェシュは絶対必要だし、カジミェシュの文脈で入れてやればいいんだな!
これが理想です。
カジミェシュ3世
①14世紀
②最盛期
中央集権化により
③クラクフ大学創設
④死後王朝断絶、ヤゲウォ朝へ
*カシミール大王とも。解答例では、繰り返す際「大王」を代名詞にして字数短縮できるためこちらの表記にした。
勿論コペルニクスがクラクフ出身であることを知らなければそこまでですし、こんな複雑な捌き方(二重修飾)は東大の過去問でもあまり見ませんが…。まあ、甲羅背負って修行するようなつもりで。続いて他の指定語句も見てみましょう。
【バトゥ】。これは簡単、一番素直な指定語句ですね?
ワールシュタットの戦い
①1241年(年号も覚えたい 胃に良い悪酢タルト)
②バトゥの遠征軍vsドイツ・ポーランド連合軍
③西欧軍は大きな打撃を受けたが、支配は免れた
④場所はリーグニッツ。故に「リーグニッツの戦い」とも。
---以下豆知識---
・この戦いを受けてインノケンティウスⅣはプラノカルピニをモンゴルに送り情報収集を図った。
・「ワールシュタット」はドイツ語で「死体の山」。
・リーグニッツは後のスペイン継承戦争・7年戦争のアーヘン和約・フベルトゥスブルグ条約でやり取りされたシュレジエンに位置。
問いはあくまで「興亡」なので、戦いの後で打撃を受けた点はちゃんと指摘したい。恐慌に陥った、までは書けなくても良いと思いますが。
【スウェーデン】は少し難しい。正しい使い方は「ロシア」とセットです。単語名を覚える必要はないですが、「大洪水時代」を知っておくとこのあたりのポーランド史がすっきり理解できます。
大洪水時代(引用)
厳密に言えば、スウェーデンによるポーランド・リトアニア共和国の侵略と占拠をした北方戦争(1654年 - 1660年)のみに用いる。大洪水の時期は、スウェーデンの歴史では北方戦争と呼ばれる。
大洪水が起きる前、ポーランド・リトアニア共和国は軍隊を擁して東欧地域に領土を拡大し人口規模も増えていた。また地理的・歴史的関係からクリミア・ハン国、オスマン帝国と覇権を巡り(3百年間)争っていた、1558年からのスウェーデンとポーランド間の戦争は3百年間に及ぶ、何れもポーランド分割まで続く。
引用:Wikipedia「大洪水時代」より
ここではスウェーデンのみ、とありますが、ロシアもセットが良い(「世界史の窓」参照。urlは記事末)。簡単に言えば17世紀に外国から侵入を受けたわけです。ではその背景は?ここでパッと「貴族」「選挙王制」というワードが出てくると嬉しい。要するに、当時のポーランドは貴族が力をつけていたんですが、彼らが内部分裂して国内がグチャグチャだったんですね。そこに漬け込んで進出してくる周辺諸国。それまでのポーランドは、カジミェシュ3世の統治やヤゲウォ朝のドイツ騎士団への攻勢などかなりの力を持っていたため、このあたりからを衰退期とすることができます。【解答の背骨】の☆を参照してください。今回はおさらい・勉強用の問題、つまり難単語も盛り込んだ大記述ですが、先に述べたようにここまで難しいのはあまり出題されないので。【解答の背骨】と、この興亡のイメージが一番大切です。
ちなみに選挙王制していた貴族には「シュラフタ」という名前がついています。若干難単語ですが、「大洪水」に比べればよっぽど出題されます。東大第三問でも難単語枠で出ておかしくない。覚えておきましょう。
シュラフタ
①ドイツ騎士団を倒す際に活躍→台頭
②ヤゲウォ朝断絶後選挙王制
③互いに抗争
→周辺諸国の進出誘い王国衰退へ
↑この①に注目してください。ヤゲウォ朝はわかりますか? ヤゲウォ朝はカジミェシュ大王の死後、王朝断絶を受けて立てられた王朝です。特徴はリトアニアとの連合王国であること。なぜ連合したか?東方進出してくるドイツ騎士団に対抗するため。
だから例えば、彼らは【カトリック】にも改宗しています。世界史範囲は逸脱しますが、現在リトアニアもポーランドもカトリック国なのはこれに由来します。地理選択者は覚えておきましょう。
ヤゲウォ朝
①1386〜1572年
②「強い」というイメージが大切。かつての東欧最強
③ドイツ騎士団に対抗するリトアニアとポーランドが合同して形成
④騎士団に対抗しカトリックを奉ずる
⑤そして騎士団に勝つ。東欧最強たる所以
この指定語句(カトリック)は先日の駿台模試を受けてない人には厳しいでしょう。少なくとも僕が組み込んだきっかけはあの問題ですが。ともかく、ドイツ騎士団に対抗すべくヤゲウォが成立しました。結果彼らはドイツ騎士団に勝ったわけです。先述「ドイツ騎士団への攻勢」ですね。具体的にはタンネンベルクの戦い(wwⅱ以外にもあるんです)、13年戦争で勝利したわけですが、ギリ前者を覚えておけば良い程度でしょう。で、この戦いを先導したのがシュラフタ、ということです。
東欧最強だったポーランドも、【解答の背骨】通り「大洪水」以後は弱まる一方。極め付けは誰しも知ってるポーランド分割ですね。わざわざまとめるまでもないでしょう。ただしポイントとして、その主体は【啓蒙専制君主】だということを結びつけておくと便利です。「18世紀末」、というわけですね。
参考までにその後のポーランドを。散々です。イエナの戦い→ティルジット和約でワルシャワ大公国となり、その後もウィーン会議で(一部は)ポーランド立憲王国としてロシアの傀儡になります。二度の農民反乱(一度目は7月革命の影響、二度目は農奴解放令が適用されなかったことへの反発から)も鎮圧され、不満が燻るまま19世紀は終わります。独立は第一次世界大戦の後まで待たねばなりません。イエナの戦いは19世紀初頭なので(ナポレオン)、問題の解答はポーランド分割で締めくくる、ということもわかります。
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*7/3追記
余談。厨二病患者の聖地「十字架の丘」。キングダムハーツのキーブレード墓場を彷彿とさせるこのダークファンタジックな光景は、調べてみたところなんとリトアニアの巡礼地のものでした。発祥はポーランド分割に起因しているようです。受験には出ないでしょうが、イメージを膨らませると理解も進むので気になる人は是非以下のURLや、Wikipedia「十字架の丘」を参照してみてください。
https://www.travel.co.jp/guide/article/17337/
▲1枚目がキングダムハーツ(ゲーム)シリーズ「キーブレード墓場」、2枚目がリトアニアの「十字架の丘」。ゲームよりもファンタジックな圧巻の光景にはどこかノスタルジーを感じる…。それにしてもキーブレード墓場は十字架の丘を参考にして作ったんじゃないかなあ、と邪推。受験終わったらキンハⅢしてえなあ…。
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さあ、以上バラバラに書いてきましたが、頭の中で繋がってますか?実はほとんど書きたい内容は解説し終わってます。以下、これらを時代通りに並べる作業がてら、解答例を掲載します。
解答例(太字:指定語句)
10世紀に成立したピアスト朝は、11世紀以降神聖ローマ帝国からの独立を深めていく。1241年にはモンゴルのバトゥにリーグニッツの戦いで敗北し恐慌に陥った。14世紀にカシミール大王が王座に就くとポーランド王国は最盛期を迎える。中央集権化により充実した国力は、コペルニクスを輩出したクラクフ大学に象徴的である。大王の死後、ピアスト朝の断絶を受けリトアニアとの間に連合王国のヤゲウォ朝が形成された。ヤゲウォ朝はカトリックを奉じたが、その背景には東方進出するドイツ騎士団へ対抗する意図があった。目論見通りタンネンベルクの戦いと13年戦争で騎士団を破った王国は、東欧一の強勢を誇るようになる。国内では戦いで中核を成した貴族層のシュラフタが発言権を強めていった。1572年ヤゲウォ朝が断絶すると、選挙王制に立脚するシュラフタ民主政が始まる。シュラフタ同士の対立は周辺諸国の進出を呼び、北方戦争を始めとした「大洪水」と呼ばれるロシア・スウェーデンの介入を機にポーランドは衰退期を迎えた。そうした混乱の中、18世紀末にはヨーゼフ2世など啓蒙専制君主によるポーランド分割により、ポーランドは領土を全て失ってしまった。(490字)
難易度:難
どうですか?以下の採点基準で添削してみましょう。オリジナル問題なので恣意的です。
《採点基準》
*字数超えは0点。
*指定語句の脱落は一つごとに-5点。
*今回は字数はいくら少なくても良い
*各項目での減点は0点未満になりません。0点止まりです
・10世紀に王朝が成立…2 点
「ピアスト朝」ヌケで-1点
・神聖ローマ帝国からの独立…1点
原則前半部に入れてある場合のみ加点
・リーグニッツの戦い…3点
「 (モンゴルの)【バトゥ】」ヌケで-3点、「13世紀」、「敗北のちに打撃(恐慌)」それぞれヌケで-1点
・カシミール大王…3点
「14世紀」「最盛期」それぞれヌケで-1点
・【コペルニクス】を正しく使えている…4点
解答例とズレているが歴史的事実に沿っている場合は1点。クラクフ大学と紐付けされていてるがカシミール大王と紐付けされていない場合は3点。カシミール大王の文脈で使われていてもクラクフ大学の記述が無ければ1点。
・ヤゲウォ朝の形成、ヤゲウォ朝の【カトリック】信仰…各4点、計8点
「(ピアスト朝、もしくは)王朝の断絶をうけて」「リトアニアとの連合」「東方進出する(ドイツ騎士団)」「ドイツ騎士団への対抗」ヌケで各-1点。ただし【カトリック】が正しい文脈で使われていない場合は歴史事実に沿っていても後者の4点は与えない。
・ドイツ騎士団を破る…3点
「戦いに勝ち」などの表記なら1点。「タンネンベルクの戦いなどに勝ち」などの表記なら2点。「タンネンベルクの戦いに勝ち」などの表記(13年戦争が文脈的に存在しないと読み取れてしまう場合)なら1点。「タンネンベルクの戦いと13年戦争に勝ち」で3点。
・東欧1の強勢を誇る…2点
正しい文脈で使われていればどこに入っていても良い
・シュラフタ…5点
「貴族」表記の場合4点。そこから「戦い以後伸長」ヤゲウォ朝断絶以後台頭」「選挙王制」「対立が周辺諸国の侵入を呼ぶ」ヌケでそれぞれ-1点。
・【スウェーデン】の侵入…3点
「ロシアと」「『大洪水』」「衰退期へ」ヌケで各-1点。
・【啓蒙専制君主】…3点
「ポーランド分割」修飾に限る。文脈は解答例と異なるが歴史的事実に沿っている場合1点。具体例がないと-1点。
・ポーランド分割…3点
「18世紀末」「領土を全て失う」ヌケで各-1点
以上、40点満点。
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さあ!長かった記事もこれで終わりです。多分みんな20点もいかないんじゃないかな。繰り返しますが、なによりも大切なのは【解答の背骨】です。点数は気にしないでください、僕は多分初見なら10点くらいしか取れないです。でも、これでポーランド中近世はほとんど完璧じゃないかな?という神記事でした。ブログランキング復活記念に腰据えて書きました。投票よろしくどうぞ。
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参考
・世界史の窓 https://www.y-history.net/appendix/wh0602-069.html
・東大2017②
・2019年第一回駿台全国模試